精霊送り
8月15日午後6時半より,やすらぎ会館かすや斎条で精霊送りの法要がありました。
お盆期間中に、お供えした、ワラで作った船や飾り物を祭壇にお供えして読経、法話をさせていただきました。
ありがとう、それだけで幸せになれる
8月15日午後6時半より,やすらぎ会館かすや斎条で精霊送りの法要がありました。
お盆期間中に、お供えした、ワラで作った船や飾り物を祭壇にお供えして読経、法話をさせていただきました。
7月29日、清谷寺本堂で、お施餓鬼の法要がありました。
仏教の教えの中に六道とゆうのがあります。
の六つです。人々の行いの結果、六つの世界(輪廻転生)に生まれ変わると言われています
その中の一つ、餓鬼道(常に飢えと渇きに苦しむ世界)に落ちた人々のために、食べ物や飲み物の供物を施すのがお施餓鬼法要です。
施すだけではなく、自分自身の行いも改め、一日一日を精進していきたいものです。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理ことわりをあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵ちりに同じ。
平家物語の一節です。
祇園精舎の鐘の音が、この世の中に永遠はないとゆう事を言っているようですね
その情景を想像すると少し寂しい気もしますが
生があると死がある、始めがあると終わりがある、とゆうのが現実です。
今とゆうこの時を生きるためには、この事を認識することが大切ですね
精進とは、雑念を払い仏道修行に励む事を言います。
仏道とは生活の中で実践していくものです
一日一度は静かに坐って身体と呼吸と心を調えましょう。
と生活信条にある通り、自分を調え、自己をみつめなおしていきましょう。
そうすれば必ず道はひらけてきますよ。
春分の日、秋分の日の前後三日間をあわせての七日日間がお彼岸になります。
春分の日と秋分の日は、真東から昇った太陽が真西に沈むため、西の遥か彼方に極
楽浄土と通じやすくされると言われています。
彼岸とは、煩悩、苦悩に満ち溢れた世界
此岸とは、悩み、迷いのない極楽浄土の世界
此岸に渡るために、修行をする期間ともいわれています。
この期間に実践するのが六波羅蜜です
布施 施しましょう
精進 努力しましょう
禅定 静かに坐って調えましょう
持戒 決まりを守りましょう
忍辱 たえましょう
知恵 教えを実践して得られる知恵です、知識ではありません
簡単に、書いてみました。
持戒とゆうのが、わかりにくいですね
仏教には戒律とゆうのがあります。
その代表的なのが五戒です
不殺生戒 生き物を殺さない
不邪淫戒 みだらな行為をしない
不偸盗戒 盗みをしない
不妄語戒 うそを言わない
不飲酒戒 お酒を飲まない
この6つを実践して、迷いの世界から、迷いのない世界にいけるように精進しましょうとゆう事です。
仏教は実践です。
学んで実践していきましょう
迷いのない世界にいけるように
人ははからいから
すべてのものに執着する。
富に執着し
財に執着し
名に執着し
命に執着する
有無、善悪、正邪
すべてのものにとらわれて
迷いを重ね
苦しみと迷いを招く
この世界は心に導かれ
心に引きずられ
心の支配を受けている
迷いの心によって
悩み満ちた世界が現れる
2月15日は、お釈迦様の入滅なさった日で、お寺で涅槃会とゆう法要がおこなわれます。
涅槃とゆうのは、ニルヴァーナの訳語で迷妄のなくなった心の境地を指す言葉ですが、この涅槃会はお釈迦様がなくなった日となります。
ちなみに涅槃物には、目が開いている涅槃仏と目を閉じている涅槃仏があります。
目を開いているのは、最後の説法をしている姿
目を閉じているのは、亡くなった後の姿です
清谷寺は、聖福寺一派の東部寺院です。
下の写真は、聖福寺の仏殿で執り行われた、涅槃会の写真です。
すべてのものは
みな心を先とし、心を主とし
心から成っている
汚れた心でものを言い
また身をで行うと
苦しみがその人に従うのは
ちょうど牽く牛に
車が従うようなものである
副住職
良いことをすれば、心穏やかに、悪いことをすれば苦しみがついてきます。
止悪修善を務めましょう。
汚れのない人の生活は滅びず 欲に打ち勝ってこそ 自由の人と言われる
吾唯足ることを知る(われただ たることをしる)
私は、足りていることを知っている。
あるがままを見るためには、足りないと言って悔やむ生活、お金をたくさん持って、贅沢三昧の生活より、
足ることを知って、正しい生活をおくっていく事こそ、悟りの道だと言っているようですね。
自分自身をみつめなおす事は、大切です。
本堂で手をあわせるとは、仏さまに感謝するとゆう事。
広い本堂で、歌を歌い、お経を読んで、坐禅をして座布団を片付けます。
お寺が教えるのは、感謝する事です
感謝する気持ちがあるのなら、人に暴言をはいたりしません、感謝する気持ちがあるなら、「今」を頑張れるはずです
感謝する気持ちがあるのなら、人を羨ましがって苦しんだりしません
感謝することを、忘れてしまっているこの時代、手をあわせて感謝することは大切だと感じています
不妄語(嘘をつかない)
不綺語(中身の無いことを言わない)
不悪口(乱暴な言葉を発さない)
不両舌(人を仲たがいさせるようなことを言まない)
この四つでおもに説かれています。
真実ばかり言ってても駄目な時があります。
その言葉に、相手を思いやる気持ちがないなら、その言葉は凶器となるでしょう
このことから、平和で調和のとれる生活ができる言葉づかい、相手を思いやる言葉遣いを心がけると良いでしょう
昔、この正しいとゆう事がすごく疑問でした。
世の中、何が正しくて、何が悪いの善悪二元論でわけることができるのか。
とゆう疑問を・・
この時は無知だったんだなとおもいます。
それでは、一つづつ説明していきたいと思います
正見ーこれは物事を正しく見るとゆう事、この時の正しいは「すべて移り変わるとゆう事」
それが分からないから悩むんです、苦しむんです、とらわれてしまうんです
次回は、正語です
坂村真民
副住職から一言
四苦八苦
五蘊盛苦は、サンスクリット語でパンチャ・ウパーダーナ・カンダ・ドゥッカ「五つの要素に執着する苦しみ」とゆう事です。
「ウパーダーナ」は執着するとゆう意味合いから、執着によって苦悩が盛んになる事。
物事に執着すると、苦しみは活発に私たちを苦しませてくれます。
執着しないと心に誓っても、いずれ執着します。
それは、人は変化していくから。
だからこそ、生活信条が大切なのです
一日一度は静かに座って身体と呼吸と心を調えましょう。
生 生まれる苦しみ
老 老いる苦しみ
病 病気になる苦しみ
死 死ぬ苦しみ
こんな感じです。
苦しみたくないから苦しむのかな、
順風満帆な生活をしたい、老いたくない、
病気になりたくない、死にたくない、
苦しみの構造は、まだまだ複雑ですが・・
あるがままを見る事が大切だと思います。
苦しいときは苦しい、悲しいときは悲しい、
そして、それにとらわれる事無く精進していく事が大切だと考えます
妙心寺派の生活信条に、こんな言葉があります。
一日一度は静かに座って身体と呼吸と心
を調えましょう。
だからこそ今を頑張りましょう
母親のわきからお生まれになった?
このことは、インドのルールで王族、武人などは右腕、右脇から、お生まれになると表現することになっているそうです。
何故右脇かとゆうと右脇とゆうのは、とても大切な物を抱える場所。
なので、「大切な子供が生まれました」とゆう事を伝えたかったとゆう事です
天上天下唯我独尊??
「一人一人が尊い存在である」とゆう事です
インドでは、カースト制度があった時代に、皆が尊いとゆう事を言いたかったのでしょうね。
近年、学園カーストなどとゆう言葉がありますが。
日本でも、一人一人が尊いとゆう事を伝えていく事が必要ですね。