こんにちは。清谷寺の住職です。
九州の厳しい暑さや梅雨、そして日々の慌ただしさのなか、皆様いかがお過ごしでしょうか。
当寺のある久山町は、博多の喧騒から少し離れた自然豊かな場所です。本堂に座って外の雨音や風の音を聞いていると、ふと、ある有名な詩が頭をよぎることがあります。
それは、日本の文豪・宮沢賢治が残した『雨ニモマケズ』の一節です。
現代だからこそ響く、おだやかな佇まい
「慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル」
スマートフォンを開けば常に新しい情報が飛び込み、つい誰かと自分を比べて焦ってしまいがちな現代社会。SNSなどで他人の華やかな生活が見えやすいからこそ、私たちは無意識に「もっと、もっと」と欲を重ね、心にイライラ(瞋り・いかり)を溜めてしまいがちです。
宮沢賢治が病床の中で、自分自身の「理想の生き方」として手帳に書き残したとされるこの詩には、「特別な何者かになろうとするのではなく、目の前の現実を静かに受け入れ、おだやかに微笑んでいること」の大切さが説かれています。
これは、私たち禅宗(臨済宗)が大切にしている「今、ここにある自分をそのまま見つめる」という教えにも、深く通じるものがあります。
見返りを求めない「利他の心」
さらに詩は、こう続きます。
「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ」
「西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ背負ヒ」
誰かに褒められたいからやるのではない。自分の評価(自分を勘定に入れない)を捨てて、ただ困っている人がいれば手を差し伸べる。この「無私無欲」の美しさは、仏教でいう「慈悲」や「利他」の精神そのものです。
「周りからデクノボー(役に立たない者)と呼ばれても構わない。そういうものに、私はなりたい」と締めくくられるこの言葉は、一見すると不器用で損な生き方に見えるかもしれません。
しかし、他人の評価に振り回されず、自分の手の届く範囲の大切な人を静かに支え続けることこそ、ブレない「本当の強さ」なのではないでしょうか。
清谷寺の縁側で、ほっと一息つきませんか?
当寺には、平安時代から大切に守られてきた釈迦如来坐像や十一面観音立像、そして久山町の重要文化財である地蔵菩薩立像が安置されています。
歴史ある本堂の縁側で、ただぼーっと黙想する時間は、日々の忙しさから心を解放し、「いつも静かに笑っていられる」自分を取り戻すきっかけになるかもしれません。
- 「最近、なんだか心がソワソワする」
- 「情報に疲れてしまった」
そんなときは、いつでもお気軽に清谷寺へお参りください。皆様が心おだやかに日々を過ごせるよう、静かにお待ちしております。
合掌