お釈迦さまって誰?子供にも説明できる仏教の創始者の物語

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はじめまして、清谷寺住職、柴田親志です。今回は「お釈迦さまって誰?」というテーマでお話しします。この記事を読むと、仏教の開祖であるお釈迦さまの生涯や教えについて、子供にも分かりやすく説明できるようになります。お釈迦さまの誕生から悟りを開くまでの物語、そして仏教の基本的な教えである四諦八正道について学べます。また、日本での仏教の受容や、現代の私たちの生活にどのようにお釈迦さまの教えが息づいているかも分かります。お釈迦さまの慈悲の心や中道の教えは、今の時代を生きる私たちにも大切な指針となることでしょう。この記事を通じて、仏教の根本にある思いやりの心や生きる知恵を、子供たちにも伝えられるようになると思います。

お釈迦さまとは誰なのか基本的な説明

お釈迦さまについての話です。。

まず始めは、お釈迦さまの基本的な説明です。お釈迦さまは、仏教の開祖として広く知られる方です。約2500年前のインドで生まれ、人々の苦しみを取り除く道を説いた方として、世界中で尊敬されています。

仏教の開祖としてのお釈迦さま

お釈迦さまは、仏教という宗教を始めた方です。仏教は、人間の苦しみの原因とその解決方法を説く教えです。お釈迦さまは、自らの経験と悟りを通じて、この教えを人々に広めました。

仏教の開祖として、お釈迦さまは次のような特徴を持っています:

  • 人間の苦しみを深く理解し、その解決策を示した
  • 平等と慈悲の心を説いた
  • 瞑想や修行の重要性を教えた
  • カースト制度を否定し、すべての人が悟りを開ける可能性があると説いた

お釈迦さまの本名と呼び名の由来

お釈迦さまには、いくつかの呼び名があります。これらの名前には、それぞれ意味があります。

呼び名意味・由来
シッダールタ(悉達多)本名。「すべての願いを達成した人」という意味
ゴータマ(釈迦牟尼)家系の名前。「最高の牛」を意味する
ブッダ(仏陀)「目覚めた人」「悟りを開いた人」という意味
シャカムニ(釈迦牟尼)「シャカ族の聖者」という意味

日本では、親しみを込めて「お釈迦さま」と呼ばれることが多いです。

お釈迦さまが生きた時代と場所

お釈迦さまが生きた時代と場所について、詳しく見ていきましょう。

時代

お釈迦さまは、紀元前6世紀頃に生まれ、紀元前5世紀頃に亡くなったとされています。正確な年代については諸説ありますが、一般的には以下のように考えられています:

  • 誕生:紀元前563年頃
  • 出家:29歳(紀元前534年頃)
  • 悟り:35歳(紀元前528年頃)
  • 入滅(死去):80歳(紀元前483年頃)

この時代のインドは、都市国家が発展し、様々な思想や宗教が生まれた時期でした。お釈迦さまの教えは、このような時代背景の中で広まっていきました。

場所

お釈迦さまの生涯に関わる主な場所は、現在のインドとネパールにまたがる地域です。重要な場所をいくつか紹介します:

  • ルンビニー:お釈迦さまの誕生地(現在のネパール)
  • カピラヴァストゥ:幼少期を過ごした王国の都(現在のインドとネパールの国境付近)
  • ブッダガヤ:悟りを開いた場所(インド・ビハール州)
  • サールナート:最初の説法を行った場所(インド・ウッタルプラデーシュ州)
  • クシナガラ:入滅した場所(インド・ウッタルプラデーシュ州)

これらの場所は、現在も仏教聖地として多くの巡礼者が訪れています。

お釈迦さまの生きた時代と場所を知ることで、その教えがどのような環境で生まれ、広まっていったのかを理解することができます。次の章では、お釈迦さまの生い立ちと王子時代について詳しく見ていきましょう。

お釈迦さまの生い立ちと王子時代

お釈迦さまの生い立ちと王子時代の話です。

カピラヴァストゥ王国の王子として誕生

まず始めは、お釈迦さまの誕生です。お釈迦さまは、今から約2500年前、現在のネパール南部にあったカピラヴァストゥ王国の王子として生まれました。お釈迦さまの本名は、シッダールタ・ガウタマといいます。

お釈迦さまのお父さまは浄飯王、お母さまは摩耶夫人といいます。摩耶夫人は、シッダールタ王子をお産みになった後、7日目に亡くなられました。そのため、シッダールタ王子は叔母のマハープラジャーパティーに育てられました。

人物関係
浄飯王
摩耶夫人
マハープラジャーパティー叔母(養母)

幼少期の教育と贅沢な暮らし

シッダールタ王子は、王子として生まれたため、幼い頃から贅沢な暮らしをしていました。最高の教育を受け、武術や学問を学びました。しかし、王子は単なる贅沢な生活に満足せず、深い思索力を持っていたと言われています。

王子の父である浄飯王は、息子が出家することを恐れ、王子に苦しみを見せないようにしました。そのため、王子は宮殿の中で、常に美しいものに囲まれて育ちました。

シッダールタ王子の教育内容

  • 古代インドの文学
  • 数学
  • 哲学
  • 武術(弓術、剣術など)
  • 政治学

四門出遊と人生を変える出会い

シッダールタ王子が29歳の時、四門出遊(しもんしゅつゆう)と呼ばれる出来事がありました。これは王子が四回にわたって王城の外に出かけ、人生を変える出会いをした出来事です。

四門出遊での出会い

  1. 老人との出会い:人は誰しも老いることを知る
  2. 病人との出会い:人は誰しも病気になることを知る
  3. 死者との出会い:人は誰しも死ぬことを知る
  4. 修行者との出会い:苦しみから解放される道があることを知る

この四つの出会いは、シッダールタ王子に大きな衝撃を与えました。王子は、人生には避けられない苦しみがあることを知り、同時にその苦しみから解放される道があることも知りました。

これらの経験を通じて、シッダールタ王子は人々の苦しみを取り除く方法を見つけるため、出家を決意します。王子は29歳の時、愛する妻のヤショーダラーと生まれたばかりの息子ラーフラを残して、王宮を後にしました。

このように、お釈迦さまの生い立ちと王子時代は、後の仏教の教えにつながる重要な経験に満ちていました。贅沢な生活の中で育ちながらも、人々の苦しみに気づき、その解決策を求めて旅立つ決意をしたお釈迦さまの姿は、今日でも多くの人々に深い感銘を与えています。

お釈迦さまの修行と悟りの道

今回はお釈迦さまの修行と悟りの道についてお話しします。お釈迦さまの人生の中でも最も重要な時期であり、仏教の基礎となる教えが生まれた過程です。

出家の決意と王宮を後にする

お釈迦さまは、29歳のとき、王子としての生活に疑問を感じ、真理を求めて出家を決意しました。これは四門出遊での経験が大きく影響しています。老人、病人、死人、そして修行者との出会いが、人生の苦しみと解脱の可能性を示したのです。

お釈迦さまは、愛する妻のヤショーダラーと生まれたばかりの息子ラーフラを残して、夜中に王宮を後にしました。この決断は、個人的な幸福よりも、すべての人々の苦しみを解決する道を見つけたいという強い願いから生まれたものです。

苦行の日々と中道の発見

王宮を出たお釈迦さまは、まず当時の著名な修行者たちのもとを訪ねました。アーラーラ・カーラーマやウッダカ・ラーマプッタから瞑想を学びましたが、これらの教えでは真の解脱に至らないと悟ります。

そこでお釈迦さまは、極端な苦行の道を選びます。森の中で厳しい断食や瞑想を行い、身体は骨と皮だけになるほどでした。しかし、6年の苦行を経てもなお、真理に到達できないことを悟ります。

この経験から、お釈迦さまは極端な快楽主義でも極端な苦行主義でもない、「中道」の重要性を発見します。適度な食事と休息を取りながら修行することで、身体と精神のバランスを保つことの大切さを説きました。

菩提樹の下での悟り

中道を見出したお釈迦さまは、現在のインド・ビハール州にあるブッダガヤーで、菩提樹の下に座して瞑想を始めます。この瞑想で、お釈迦さまは人生の真理を悟り、覚者(ブッダ)となりました

悟りの瞬間、お釈迦さまは以下の真理を理解したと伝えられています:

悟りの内容説明
四諦苦諦、集諦、滅諦、道諦の四つの真理
縁起あらゆる現象は因果関係で結ばれているという理論
全ての物事には固定的な実体がないという考え

お釈迦さまは35歳で悟りを開きました。この瞬間から、シッダールタ・ガウタマは「ブッダ(目覚めた人)」と呼ばれるようになります。

悟りの後の七週間

悟りを開いた後、お釈迦さまは7週間にわたって菩提樹の周辺で瞑想を続けました。この間、悟りの深い意味を熟考し、どのようにして人々に教えを伝えるべきかを考えたとされています。

この7週間は、仏教の教えの基礎を固める重要な期間でした。お釈迦さまは、自らの悟りの体験を言葉で表現し、人々に理解できるように整理していきました。

悟りの道のまとめ

お釈迦さまの修行と悟りの道は、以下のように要約できます:

  1. 王子としての生活に疑問を持ち、出家を決意
  2. 様々な師のもとで修行するが、真の解決策を見出せず
  3. 極端な苦行を経験し、その限界を悟る
  4. 中道の重要性を発見
  5. 菩提樹の下で瞑想し、悟りを開く
  6. 悟りの内容を整理し、教えの基礎を作る

この過程を経て、お釈迦さまは人々を苦しみから解放する教えを説く準備が整いました。次の章では、お釈迦さまがどのように教えを広め、仏教の基礎を築いていったかをお話しします。

お釈迦さまの教えと仏教の始まり

初転法輪と最初の説法

お釈迦さまが悟りを開かれた後、最初に説法されたのが「初転法輪」と呼ばれる出来事です。これは、バラナシの鹿野苑で行われました。

この時、お釈迦さまは五比丘に向けて「中道」の教えを説かれました。これは、快楽に耽る生活と極端な苦行の両方を避け、中庸の道を歩むことの大切さを説いたものです。

また、この時に説かれた「四諦」は、仏教の根本的な教えとなりました。四諦とは、苦諦・集諦・滅諦・道諦のことを指します。

四諦意味
苦諦人生には苦しみがあること
集諦苦しみには原因があること
滅諦苦しみは滅することができること
道諦苦しみを滅する方法があること

四諦八正道の教え

四諦の最後の「道諦」で示されているのが、「八正道」です。これは、苦しみから解放される具体的な方法を示したものです。

八正道は以下の8つの実践からなります:

  1. 正見:正しい見解を持つこと
  2. 正思惟:正しい思いを持つこと
  3. 正語:正しい言葉を使うこと
  4. 正業:正しい行いをすること
  5. 正命:正しい生活をすること
  6. 正精進:正しく努力すること
  7. 正念:正しい心の持ち方をすること
  8. 正定:正しく精神統一すること

これらの教えは、人々が苦しみから解放され、幸せな人生を送るための指針となりました。

仏教教団の形成と広がり

お釈迦さまの教えに共感した人々が集まり、やがて仏教教団が形成されていきました。最初の弟子たちは五比丘でしたが、その後多くの人々が出家して僧侶となりました。

舎利弗目連といった優れた弟子たちも現れ、彼らがお釈迦さまの教えを広めるのに大きな役割を果たしました。

また、在家の信者も増え、給孤独長者のような篤信の檀家も現れました。彼は祇園精舎を寄進し、仏教教団の発展に大きく貢献しました。

お釈迦さまは、出家者だけでなく在家の人々にも教えを説かれました。これにより、仏教は社会の様々な層に広がっていきました。

仏教教団の特徴

仏教教団には以下のような特徴がありました:

  • カースト制度を否定し、平等を重視した
  • 女性の出家も認めた
  • 在家信者の存在を重視した
  • 戒律を設けて僧団の秩序を保った

これらの特徴により、仏教は多くの人々の心に響き、急速に広がっていきました。

仏教の広がりと変容

お釈迦さまの入滅後、仏教は徐々にインド全土に広がっていきました。そして、アショーカ王の時代には、国家的な保護を受けて大きく発展しました。

その後、仏教はシルクロードを通じて中央アジアや中国に伝わり、さらに朝鮮半島を経て日本にも伝来しました。各地域の文化と融合しながら、仏教は多様な形態を生み出していきました。

例えば、大乗仏教や密教といった新しい思想や実践方法が生まれ、仏教はさらに豊かな内容を持つようになりました。

このように、お釈迦さまの教えは時代と共に変容しながらも、多くの人々の心の拠り所となり、現代に至るまで大きな影響を与え続けています。

子供向けに伝えるお釈迦さまの物語

子供たちにお釈迦さまの物語を伝える方法についてお話しします。お釈迦さまの教えは、子供たちの心にも響く大切なメッセージがたくさんあります。それでは、どのように伝えていけばよいのか、具体的に見ていきましょう。

お釈迦さまの優しさと思いやりのエピソード

まず始めは、お釈迦さまの優しさと思いやりを伝えるエピソードです。子供たちに分かりやすく伝えるには、具体的な物語が効果的です。

アングリマーラの改心

お釈迦さまの優しさを示す有名なエピソードに、アングリマーラの話があります。アングリマーラは多くの人を殺めた恐ろしい強盗でしたが、お釈迦さまは彼を恐れずに近づき、優しく語りかけました。お釈迦さまの慈悲深い言葉に触れたアングリマーラは、自分の罪を深く反省し、仏教の教えを学ぶ弟子となりました。この物語は、どんな人にも変わる可能性があること、そして思いやりの心の大切さを教えてくれます。

キサーゴータミーと芥子の種

また、キサーゴータミーという女性の物語もあります。愛する子を亡くしたキサーゴータミーは、お釈迦さまに子供を生き返らせてほしいと頼みました。お釈迦さまは「死んだことのない家から芥子の種を持ってきなさい」と言いました。キサーゴータミーは町中を探し回りましたが、そのような家は見つかりません。この体験を通して、彼女は死が誰にでも訪れるものだと理解し、深い悲しみから解放されました。この物語は、生命の尊さと無常の理を優しく教えてくれます。

子供にもわかる仏教の基本的な教え

次に、仏教の基本的な教えを子供たちに分かりやすく伝える方法を考えてみましょう。

四諦(したい)を身近な例で説明

お釈迦さまの基本的な教えである四諦を、子供たちの日常生活に関連付けて説明することができます。例えば:

四諦子供向けの説明
苦諦(くたい)好きなおもちゃが壊れて悲しい気持ちになること
集諦(じったい)おもちゃを乱暴に扱ったり、大切にしなかったりしたこと
滅諦(めったい)おもちゃを大切にすれば、悲しい思いをしなくて済むこと
道諦(どうたい)物を大切にする心を持ち、感謝の気持ちを忘れないこと

このように身近な例を使うことで、子供たちも仏教の深い教えを理解しやすくなります

五戒(ごかい)を日常生活に結びつける

仏教の基本的な戒めである五戒も、子供たちの日常生活と結びつけて説明できます:

  1. 不殺生:生き物を大切にし、いじめをしない
  2. 不偸盗:他人のものを勝手に取らない
  3. 不邪淫:友達を大切にし、相手の気持ちを考える
  4. 不妄語:うそをつかず、正直に話す
  5. 不飲酒:健康に悪いものを控える

これらの教えを守ることで、みんなが幸せに暮らせる社会につながることを伝えましょう

現代の子供たちに伝えたいお釈迦さまの精神

最後に、お釈迦さまの教えの中で、特に現代の子供たちに伝えたい精神について考えてみます。

思いやりの心(慈悲)

お釈迦さまの教えの中心にある「慈悲」の心は、現代社会でも非常に重要です。他人の痛みや苦しみを理解し、助け合うことの大切さを子供たちに伝えることで、いじめや差別のない社会づくりにつながります。例えば、クラスの中で困っている友達がいたら声をかけたり、お年寄りに席を譲ったりする行動を通じて、慈悲の心を育てることができます。

平等の精神

お釈迦さまは、身分や地位に関係なく、すべての人が平等であると説きました。この教えは、多様性を尊重する現代社会にとって非常に重要です。子供たちに、外見や能力の違いに関わらず、すべての人に価値があることを伝えましょう。例えば、障害のある人や外国から来た人たちと積極的に交流する機会を設けることで、平等の精神を実践的に学ぶことができます。

自己反省と成長

お釈迦さまは、常に自分自身を見つめ直し、より良い人間になることを説きました。この教えは、子供たちの健全な成長にとって大切です。失敗を恐れず、そこから学び、成長していく勇気を子供たちに伝えましょう。例えば、テストの結果が悪かった時に、どうすれば次は良くなるかを考えたり、友達とけんかをした時に、自分の行動を振り返る習慣をつけたりすることで、自己反省と成長の精神を養うことができます。

以上のように、お釈迦さまの教えは、2500年以上前のものでありながら、現代の子供たちの生活にも深く関わる大切なメッセージに満ちています。これらの教えを、日々の生活の中で少しずつ実践していくことで、子供たちはより豊かな心を育んでいくことができるでしょう。

お釈迦さまの最期と仏教への影響

クシナガラでの涅槃

お釈迦さまの最期と、その後の仏教への影響についてお話しします。

まず始めは、お釈迦さまの涅槃についてです。お釈迦さまは80歳で、現在のインド北部にあたるクシナガラという地で最期を迎えられました。この出来事は「入滅」とも呼ばれ、仏教徒にとって非常に重要な意味を持つ出来事です。

お釈迦さまは、二本のサラの木の間で北枕に横たわり、多くの弟子たちに見守られながら静かに息を引き取られました。その最期の様子は「涅槃図」として、日本の多くの寺院で描かれています。

涅槃の日時と場所

項目詳細
日時旧暦2月15日(現在の4月上旬頃)
場所クシナガラ(現在のインド・ウッタル・プラデーシュ州)
年齢80歳

お釈迦さまの遺言と弟子たちの決意

お釈迦さまは最期の時に、弟子たちに重要な遺言を残されました。その内容は、仏教の教えを守り、広めていくことの大切さを説くものでした。

「自灯明、法灯明」という言葉で知られるこの遺言は、自分自身を拠り所とし、仏法を導きとして生きていくことの大切さを説いています。これは、お釈迦さまが亡くなった後も、弟子たちが自立して仏教を広めていくことを期待されての言葉でした。

この遺言を受けて、弟子たちは深い悲しみに暮れながらも、お釈迦さまの教えを世界中に広めていく決意を新たにしました。アーナンダやマハーカッサパといった主要な弟子たちが中心となり、仏教の教えを継承し、発展させていく体制が整えられていきました。

お釈迦さまの主な遺言

  • 自分自身を頼りとし、他人を頼りとしないこと
  • 仏法を導きとして生きること
  • 戒律を守り、修行に励むこと
  • すべての存在が無常であることを忘れないこと

仏教の発展と世界への広がり

お釈迦さまの入滅後、仏教は急速に発展し、インド全土へ、そして世界各地へと広がっていきました。この過程で、様々な宗派や学派が生まれ、仏教の教えは多様な形で解釈され、実践されるようになりました。

仏教の広がりは、シルクロードを通じて中央アジアや中国へ、そして海路を通じて東南アジアへと及びました。日本には6世紀に公式に伝来し、その後の日本文化に大きな影響を与えることとなります。

仏教の主な伝播経路

地域伝来時期(おおよそ)主な特徴
中国紀元1世紀頃大乗仏教の発展
朝鮮半島4世紀頃中国仏教の影響強い
日本6世紀国家仏教として発展
チベット7世紀頃密教の発展

このように、お釈迦さまの教えは時代と共に様々な形で解釈され、各地の文化や思想と融合しながら発展していきました。現在では、上座部仏教、大乗仏教、密教など、様々な形態の仏教が世界中で実践されています。

お釈迦さまの最期は、仏教の歴史における重要な転換点となりました。その教えは2500年以上の時を経た今もなお、多くの人々の心の支えとなり、より良い社会を築くための指針として生き続けています。私たちは、お釈迦さまの遺した教えを大切に受け継ぎ、日々の生活の中で実践していくことが求められているのです。

日本におけるお釈迦さまの受容と信仰

日本仏教の始まりと発展

日本におけるお釈迦さまの受容と信仰の話です。

まず始めは、日本に仏教が伝来した経緯です。仏教が公式に日本に伝わったのは、538年(あるいは552年)に百済の聖明王が仏像や経典を献上したことがきっかけです。これを「仏教公伝」と呼びます。

しかし、当時の日本では神道が中心的な信仰でした。

仏教の受容には様々な議論がありましたが、聖徳太子の活躍により、仏教は次第に広まっていきました。聖徳太子は、法隆寺や四天王寺など、日本最古の仏教寺院を建立しました。

奈良時代に入ると、国家仏教として仏教が発展し、東大寺や興福寺などの大寺院が建立されました。この時代、お釈迦さまを中心とする釈迦如来像が多く作られ、人々の信仰を集めました。

日本仏教の主な宗派と特徴

平安時代以降、日本独自の仏教が発展していきます。以下の表は、主な宗派とその特徴をまとめたものです。

宗派開祖主な特徴
天台宗最澄一乗思想、止観行
真言宗空海密教、即身成仏
浄土宗法然念仏による往生
浄土真宗親鸞絶対他力、悪人正機
日蓮宗日蓮法華経信仰、唱題
臨済宗栄西公案禅
曹洞宗道元只管打坐、修証一等

これらの宗派は、それぞれお釈迦さまの教えを独自に解釈し、日本人の心性に合わせた形で広めていきました。

お釈迦さまを祀る主な寺院や仏像

日本には、お釈迦さまを主尊とする寺院が多数存在します。代表的なものをいくつか紹介しましょう。

東大寺(奈良県奈良市)

東大寺の大仏殿には、盧舎那仏(るしゃなぶつ)と呼ばれる巨大な仏像が安置されています。この仏像は、お釈迦さまの悟りの境地を表現したものとされています。毎年3月12日には、「お水取り」という有名な行事が行われます。

薬師寺(奈良県奈良市)

薬師寺の東塔は、日本を代表する古代建築の一つです。本堂には、釈迦三尊像が安置されており、中央の釈迦如来像を中心に、両脇に日光菩薩と月光菩薩が配されています。これらの仏像は、天平時代の仏教美術の最高傑作とされています。

興福寺(奈良県奈良市)

興福寺の国宝館には、阿修羅像をはじめとする八部衆像が展示されています。これらの像は、お釈迦さまの教えを守護する神々を表現したものです。また、中金堂には、釈迦如来像が安置されています。

鎌倉大仏(神奈川県鎌倉市)

高徳院にある鎌倉大仏は、阿弥陀如来を表現していますが、多くの人々にとってはお釈迦さまのイメージと重なっています。この巨大な青銅製の仏像は、鎌倉時代の優れた鋳造技術を示すものとして、国内外から多くの観光客を集めています。

現代日本人の生活に息づくお釈迦さまの教え

現代の日本社会においても、お釈迦さまの教えは様々な形で生き続けています。

日常生活に根付いた仏教的価値観

「諸行無常」「一期一会」「縁」といった仏教用語は、日本人の日常会話にも深く浸透しています。これらの言葉には、物事の移り変わりや人との出会いを大切にする心、そして全てのものが関係し合っているという仏教的世界観が反映されています。

年中行事と仏教

日本の年中行事の多くが、仏教と深い関わりを持っています。例えば:

  • お盆:先祖の霊を供養する行事
  • 彼岸:春分・秋分の時期に行われる先祖供養
  • 除夜の鐘:大晦日に108回鐘を突き、煩悩を払う

これらの行事を通じて、現代の日本人も知らず知らずのうちに、お釈迦さまの教えに触れています

仏教と現代の心のケア

近年、マインドフルネスや瞑想といった仏教の実践が、ストレス解消や心の健康のために注目されています。お釈迦さまが説いた「中道」の考え方は、現代人のバランスの取れた生活にも通じるものがあります

また、終活や看取りの場面でも、仏教の教えが心の支えとなっています。「生老病死」を避けられないものとして受け入れる仏教の考え方は、人生の最期を穏やかに迎えるための指針となっています。

このように、お釈迦さまの教えは、形を変えながらも、現代の日本人の心の奥底に脈々と息づいているのです。私たちは、日々の生活の中で、知らず知らずのうちにお釈迦さまの智慧に触れ、そこから生きる力を得ているのかもしれません。

まとめ

今回はお釈迦さまについてのお話でした。このような事を書きました。

まず始めは、お釈迦さまが仏教の開祖であり、人々に苦しみから解放される道を説いた方だということです。

お釈迦さまは王子として生まれながらも、人生の苦しみに気づき、悟りを開くために修行の道を選びました。そして、菩提樹の下で悟りを開き、その教えを広めていったのです。お釈迦さまの教えは、四諦八正道として知られ、現代の日本人の生活にも息づいています。

最後に、お釈迦さまの教えは、子供たちにも優しさと思いやりの心を伝える大切なものだと言えます。日本では、奈良の東大寺や京都の清水寺など、多くの寺院でお釈迦さまを祀っています。このように、お釈迦さまの教えは今もなお、私たちの心の支えとなっているのです。