【清谷寺ブログ】日々の忙しさを忘れる「祈り」の大切さ|福岡県久山町の禅寺より

皆様、こんにちは。福岡県糟屋郡久山町にある臨済宗妙心寺派の禅寺、「霊應山 清谷寺(せいこくじ)」の住職です。

ここ久山町は、福岡市内から車でわずか30分というアクセスの良さでありながら、今なお豊かな自然と日本の原風景が残る美しい町です。当山の境内にも心地よい風が吹き抜け、四季折々の表情を見せてくれています。

突然ですが、皆様は日々の暮らしの中で、一日に一度でも「静かに手を合わせる時間」を持たれているでしょうか。「忙しくてそんな時間はない」という方にこそ、実は知っていただきたい「祈ることの大切さ」について、今日はお話ししてみたいと思います。


なぜ現代人に「祈る時間」が必要なのか?

現代の私たちは、スマートフォンから流れる大量の情報、日々の仕事、家事、育児に追われ、常に意識が「外側」へと向いています。頭の中が常に「次にすべきこと」で満たされている状態は、心が知らず知らずのうちに疲弊していく原因になります。

仏像の前や、ご先祖様を祀るお仏壇の前で静かに手を合わせる。その瞬間だけは、外側の騒がしい世界から遮断され、意識が自分の「内側」へと向いていきます。

1. 祈りは「自分を見つめ直す」鏡

祈りとは、神仏に何かを要求するためだけのものではありません。いまの自分の心がどう揺れ動いているかに気づき、それをそっと静めていく。いわば、自分の心を映し出す鏡のような役割を果たしてくれるのです。

2. 「当たり前」への感謝に気づく

私たちが手を合わせるとき、自然と心に浮かぶのは、大切な人の安穏やご先祖様への感謝です。
「今日も家族が元気で過ごせますように」と祈ることで、私たちは普段の忙しさの中で見落としがちな、「いまここにある平穏」が決して当たり前ではないことに気づかされます。足りないものを数えて不満を抱くのではなく、すでに与えられている繋がりに感謝する心が芽生えます。


福岡県久山町の清谷寺で、心静かなひとときを

ご自宅でお仏壇に向かうのも素晴らしいことですが、「家ではどうしても雑念が入ってしまう」というときは、ぜひ清谷寺へ足を運んでみてください。

当山の本堂には、平安時代から大切に守られてきた十一面観音立像、そして久山町の重要文化財である地蔵菩薩立像が安置されています。歴史を重ねたお堂特有のしんとした空気の中で手を合わせると、自然と背筋が伸び、心の中がすっきりと整理されていくのを感じていただけるはずです。

毎日1分でも構いません。明日からの暮らしの中に、静かに手を合わせる「祈り」の時間を取り入れてみませんか。

皆様の毎日が、穏やかで優しい光に満ちたものでありますよう、久山の地より祈念いたしております。

合掌