霊應山 清谷寺とは
霊應山、清谷寺(せいこくじ)は、福岡県糟屋郡久山町にある臨済宗 妙心寺派の寺院です。
福岡市内から車で30分。トリアス久山(コストコ)から徒歩10分くらいの 閑静な場所にあります。
創建にまつわる伝承
創建については諸説あるものの、古来より山の霊験にあやかりたいと願う人々の篤い信仰があったとも伝わります。口承では、近隣の開墾や山岳修行との深い結びつきを由来とする説も存在し、寺領全体が霊場として崇敬を集めていた時期もあったようです。ただし史料として確証を得るものは限られており、詳細は未解明の部分が多いのが現状です。
それでも、清谷寺に残る平安時代の仏像や江戸期に再建された観音堂の棟札などから、創建当初から長期にわたって維持され、多くの僧や地域住民により護持されてきた歴史がうかがえます。
歴史的文化財
清谷寺には、平安時代作の地蔵菩薩立像や十一面観音立像をはじめ、室町時代や江戸時代にかけて造られた尊像が複数安置されています。これらの仏像は久山町の文化財に指定されるなど、地域に残された仏教芸術を今に伝える重要な遺産として大切にされています。
特に地蔵菩薩立像は、一木造で内部が空洞となっている珍しい技法が確認され、古代から伝わる高い彫刻技術を見ることができます。一方、十一面観音立像は堂々たる体躯を備え、当初はこの像そのものが主尊として祀られていた可能性も指摘されています。これらを含む諸仏は清谷寺の宗教的・文化的な歩みを示す貴重な資料であり、その由来や修復の経緯が地元の人々によって語り継がれてきました。
近現代の歩み
1997年(平成9年)には、博多の名僧・仙厓和尚が隠棲した虚白院の山門を福岡市博多区の幻住庵から移築し、寺観が一新されました。
2017年(平成29年)10月25日には宗派を問わない永代供養塔「霊應塔」を建立し、地域の人々の心の拠り所としての役割を担っています。
2024年3月に建立した永代供養納骨堂「薬師堂」
お檀家様に限らず、宗旨宗派を問わずどなたでもご利用いただける永代供養納骨堂として、生前予約も承っております。特に跡継ぎがいないなどのご不安をお持ちの方に、安心してご利用いただける供養の場を提供させていただいています。
このように清谷寺は、古い歴史と伝統を守りながらも、現代社会のニーズに応える取り組みを積極的に行っています。
清谷寺は、福岡市と北九州市の中間に位置する久山町の精神的なよりどころとして親しまれています。本尊の十一面観音菩薩をはじめ、九州有数の仏像群を所蔵し、観音堂は、江戸時代中期の建築様式を今に伝える貴重な建造物です。
豊かな自然に囲まれた静寂な佇まいの清谷寺へ、ぜひお参りにいらしてください。心が洗われる、そんな体験をしていただけることと思います。


虚白院の山門
清谷寺の山門は、博多・聖福寺の名僧、仙涯和尚(せんがいおしょう)が隠棲した虚白院の山門です。平成に入り、博多にある臨済宗妙心寺派の寺院・幻住庵より移築されました。

地蔵菩薩立像
清谷寺境内、観音堂に安置されていたお地蔵さまです。平安時代に彫像された本像は、現在は修復され久山町の指定文化財として清谷寺本堂に安置されています。
お地蔵さまは、閻魔大王の化身であるといわれ、一度でもお地蔵さまに手を合わせると、身代わりとなって地獄の苦しみから救ってくれるとされています。また、弱い人々を守る存在であり、特に子供たちの守り神ともいわれています

十一面観音立像
同じく清谷寺観音堂に安置されていた本像は、大きさからしてもとは一つのお堂の本尊様だったのではないかとされています。現在は本堂に移されています。
11の顔を持つ本像は、全方向、つまり我々すべてを見守ってくれています。また、それぞれの顔は人々をなだめたり、怒ったり、励ましてくれていたりと、様々な感情を表しています。
本堂の北側に位置する観音堂は、糟屋郡案十三番札所の中で五番目に数えられる場所で、古くから多くの人々がお参りに訪れています。
観音堂
清谷寺
坐禅会
第三土曜日の19時30分から、清谷寺本堂にて坐禅会を行っております。清谷寺坐禅会はご連絡をいただければ、どなた様でもご自由に参加いただけます。何かお悩みがある方、「坐禅をしてみたい」という方も、まずはお気軽にご連絡ください。